ANIKIの酒場

こんにちは。東北大学経済学部経済学科4年のANIKIです。ANIKIはベトナム人の友人につけて貰ったあだ名です。2014年9月より半年間ほど、台湾の国立政治大学社会科学院に交換留学生として行きます。その模様をブログにまとめて書いていきたいと考えています。

積極性の質について

こんにちは。8/18、8/19とあしなが育英会が主催する陸前高田スタディーツアーに東北大学からのボランティアの一員として参加して来ました。アイセックの後輩に教えてもらったプログラムです。

 

 

これは「あしながインターンシップ東北プログラム」の一環で、世界のトップレベルの学生と一緒に陸前高田に赴き、現地で復興に携わっている人々の講演を聴いたり、津波の被害状況を自分の身体で体験したりするものでした。

 

 

実際に参加していた学生は世界のトップレベルの大学生ばかりで、オックスフォード、パリ政治学院、Ivyリーグなどの学生が参加していました。日本語が少しできる人もいましたが基本的に会話は全て英語であり、また彼らがネイティブということもあり、「容赦のない」英語でした。

 

 

同じアジア人だからとか、短期留学で円満な関係を築くのが目的だからとか、日本に留学して来ているからとか、「日本人は英語ができない」ことを知っているからとか、そういったことがほぼない感じでした。

 

 

実際に彼らには多くの選択肢があり、別に僕らと話す必要性はない状態でした。つまり僕らは一緒にいることはツアーの関係上できるが、彼らが話したいと思うようにしなければいけないという感じでした。

 

 

分かってはいましたが「これが、スタート時点なんだな」と言う感じでした。例えば経済学部が行っている留学生チューターのように情報の非対称性が大いにあり、こちらが彼らにとって有用な情報を持っている場合は英語で話すという行為はそこまで難しいものではないと考えています。

 

 

結果的に、僕は少しは彼らと話すことができましたが、他の海外大生と同じレベルで会話をしたり、日本国籍を持つものの海外で育った人達と同等であるようにしたりすることは全くできなかったように思います。

 

 

正直、私は少し思い上がっていたと思います。中国、ベトナムと海外経験も少しはあるし、これから交換留学にも行くし、日常的に英語を用いて親密な関係を構築する、といったことができているので大丈夫だろうと思っていました。しかしようやく目が覚めたような気がします。

 

 

そして中学1年の時に感じた絶望を思い出しました。「僕は面白いことを話せないし、何かの分野に詳しいわけでもないし、英語なんてもってのほか、いったいどうすればいいの!」中1の時にクラスで自己紹介が済んだ後くらいに私が感じていた絶望は歳月を経てまた僕の前に表れました。

 

 

確かに今の僕はあの頃と違って最低限の英語は使えるし、それなりの対処法も身につけて来たし、本も昔よりも読むようになったように思います。それを差し引いてもかなり怠慢になっていたように思います。

 

 

中学受験を成功させたような、生温い以前の大学の環境から自分をはみ出させた「渇き」のようなモチベーションを忘れていたと思います。期末試験が終わってから、僕はひたすら予定をつめまくっていました。海、山、世界遺産、観光地訪問、BBQ、国内旅行、ツーリング等々、1日の休みもないほどに。

 

 

でも、なんとなく満たされていませんでした。そこで一昨日、ある人に質問をして何をやればいいかを聞いてみました。そして「自分1人で新しいコミュニティーなりそういうところに飛び込んでみるのが面白い」と言われてはっとしました。今ある場所、今繋がっているところを使うことばかり考えていて、しっかり自分の足で歩くことをサボっていたように思えたからです。

 

 

「渇き」を感じる必要性についてまだ考えていますが、積極性の質と自分がやるべきことについてもう少し考慮すべき、と思うような日々です。

 

 

さて、交換留学に必要な書類や現地での寮についてはようやく情報を入手出来たのでこれから本格的に準備が進みそうです。ではまた。