ANIKIの酒場

こんにちは。東北大学経済学部経済学科4年のANIKIです。ANIKIはベトナム人の友人につけて貰ったあだ名です。2014年9月より半年間ほど、台湾の国立政治大学社会科学院に交換留学生として行きます。その模様をブログにまとめて書いていきたいと考えています。

留学3日目:SIMPLE

友人と台湾人が可愛い理由について語る。食文化のせいか、おしなべてスタイルの良い女性が多いと思う。それに加えて湿度が高く、気温が高い気候のため、ハーフパンツスタイルの女性が多く、脚の露出が多い。そのため、全体として魅力的な女性が多く、イメージが良いのだと思う。

 

 

地下鉄(MRT)に乗る。駅の構造がシンプルで非常に分かりやすい。どの駅にも電光掲示板がある。日本のメトロよりも分かりやすい。単に英語を併置すれば良い訳ではないではないのを知っているように思った。

 

 

混雑する時間でもそこまで混まないという混雑具合に加え、優先席には座らないという文化が定着しているなど非常に快適であった。正直、日本の交通インフラは世界トップだと思っていたが、かなり見方を変える必要があると感じざるをえなかった。東京オリンピック、大変だと思った。

 

  

吊り広告は全部なくすべき。以前に会った外国人も言っていたが評判は極めて悪いし、気持ち悪い。外国での常識をそのまま適応すると異常であるとしか思えない。

 

 

台湾では、台北市では本当にどこに言っても英語が通じる。普通のビルの管理人すら通じる。駐禁のおじさんですら通じる。感動。

 

 

中国語をやりたい外国人は中国ではなく台湾に来ているように思う。Wi-Fi、英語が通じる、交換留学生が多いので安心して来ることができる。経済的にアメリカとの結びつきが深い。あと、台湾人が可愛い。

 

 

彼女が外国人という日本人に何人かに会う。自分が特別ではないと知り安心する。留学した理由について話す。編入生が多い。私たちは自分の与えられた環境の中で精一杯良い所を取りに行こうとする気質があるのだと思う。同時に編入生として同じ思考回路を持っていたことに少し落ち込む。

 

 

考えるのを放置していた留学の目的について考える。台湾を選んだのは色々な選択肢が残されるからだと最終的な結論。

 

 

「俺らはトイレに関してはコンペティティブじゃないからいいよな」グローバル・雑魚・アメリカ人、スクワット・トイレ(和式トイレ)が使えない。スクワット・トイレが使える時点でグローバルに活躍できると日本人は誇りに思った方が良い。筋肉的な意味で。

留学2日目:ORIENTATION

9時開始のオリエンテーションに8時30分 に行った。定説通り外国人は時間にルーズなのか予定の時間には全然来ていなかった模様。不審者・通称「師匠」がいたが問題なくオリエンテーションがはじまる。

 

 

台湾人は本当に英語が上手いと思った。昼飯の時の餃子とジュースの差し入れは非常に嬉しいものだった。

 

 

様々なイベント。国際交流団体と大学の連携が上手くできている。非本質の活動を有機的に組み込み、留学生が楽しめるように工夫している。

 

 

日本人にありがちな「英語を勉強したいから外国人の友達が欲しい」というレベルではなかった。初対面で ”Let’s enjoy together” と言ってしまうような迂闊さを感じる事無く、楽しめることができた。

 

 

動画や画像で見せたいが面倒なので割愛。facebook等で見て下さい。

留学1日目:ARRIVAL

8月、9 月のハードスケジュール全てこなし、成田空港に向かった。航空券取得は2日前、VISA 申請・取得は前日という誰にも褒められないスケジュールをこなし、徹夜でパッキングした疲労とともに。

 

 

よくよく見返すと最後にブログを更新したのが3週間前、あしなが育英会主催のスタディーツアーの話。その後は青葉山アブダビから来た学生と会ったり、平泉に行ったり、飲み会、飲み会、秋田県・大曲の花火を見に行って秋田駅で高校の友人や大学の先生とニヤミスしたり、青森県白神山地・青池に行ったり、集中講義を受けたり、卒論に追われたり、宮城県秋保温泉に行ったり、引っ越しをしたり、飲み会をしたり、懇親会に参加したりした。

 

 

徹夜で疲れていたので、空の上ではとてもよく寝ることができた。利用したのはスクートというLCC。直前に航空券を取得したにもかかわらずそこそこの値段で台湾に行くことができた。空の上であったことと言えば、飛行機内で目が覚め、時間を確認すると予定到着時を過ぎていて「オイオイ」と思ったものの、日本と台湾で時差が1時間あるのを完全に失念していたことくらい。

 

 

桃園空港と松山空港を間違えるという大ミスをしでかす。それでも空港に充電スポットがあるなど台湾の「おもてなし」の精神に感動。シンプルで分かりやすい空港の構造にも感銘を受けた。

 

 

またチューター制度がしっかりしていると思った。私の留学先の大学ではどうかは分からないが、ちゃんとトレーニングをこなしたチューターが交換留学生に付く大学が多いとDIEE(経済学部国際交流支援室)の人いわく。

 

 

臨機応変に対応してくれて私を学生寮までピックアップしてくれた。これは空港がWi-Fiフリーであったから。本当に感謝している。

 

 

バスに乗って台北駅へ行く途中、車内のニュースを眺めていた。普通のバス内にニュースを流す液晶画面が完備されていることにも驚いた。

 

 

台北駅ではインフォメーション・センターでパスポートを提示してTaipei FreeというWi-Fiのお願いをした。するとその後は使いたい放題であった。市内のほとんどの場所でWi-Fiに無料でありつけている。嬉し過ぎる。速度は通話、通話アプリでのやり取りには十分である。

 

 

色々あったが、無事に寮に到着することができた。ルームメイトの日本人に中国語で挨拶されると言ったアクシデントはあったが。

積極性の質について

こんにちは。8/18、8/19とあしなが育英会が主催する陸前高田スタディーツアーに東北大学からのボランティアの一員として参加して来ました。アイセックの後輩に教えてもらったプログラムです。

 

 

これは「あしながインターンシップ東北プログラム」の一環で、世界のトップレベルの学生と一緒に陸前高田に赴き、現地で復興に携わっている人々の講演を聴いたり、津波の被害状況を自分の身体で体験したりするものでした。

 

 

実際に参加していた学生は世界のトップレベルの大学生ばかりで、オックスフォード、パリ政治学院、Ivyリーグなどの学生が参加していました。日本語が少しできる人もいましたが基本的に会話は全て英語であり、また彼らがネイティブということもあり、「容赦のない」英語でした。

 

 

同じアジア人だからとか、短期留学で円満な関係を築くのが目的だからとか、日本に留学して来ているからとか、「日本人は英語ができない」ことを知っているからとか、そういったことがほぼない感じでした。

 

 

実際に彼らには多くの選択肢があり、別に僕らと話す必要性はない状態でした。つまり僕らは一緒にいることはツアーの関係上できるが、彼らが話したいと思うようにしなければいけないという感じでした。

 

 

分かってはいましたが「これが、スタート時点なんだな」と言う感じでした。例えば経済学部が行っている留学生チューターのように情報の非対称性が大いにあり、こちらが彼らにとって有用な情報を持っている場合は英語で話すという行為はそこまで難しいものではないと考えています。

 

 

結果的に、僕は少しは彼らと話すことができましたが、他の海外大生と同じレベルで会話をしたり、日本国籍を持つものの海外で育った人達と同等であるようにしたりすることは全くできなかったように思います。

 

 

正直、私は少し思い上がっていたと思います。中国、ベトナムと海外経験も少しはあるし、これから交換留学にも行くし、日常的に英語を用いて親密な関係を構築する、といったことができているので大丈夫だろうと思っていました。しかしようやく目が覚めたような気がします。

 

 

そして中学1年の時に感じた絶望を思い出しました。「僕は面白いことを話せないし、何かの分野に詳しいわけでもないし、英語なんてもってのほか、いったいどうすればいいの!」中1の時にクラスで自己紹介が済んだ後くらいに私が感じていた絶望は歳月を経てまた僕の前に表れました。

 

 

確かに今の僕はあの頃と違って最低限の英語は使えるし、それなりの対処法も身につけて来たし、本も昔よりも読むようになったように思います。それを差し引いてもかなり怠慢になっていたように思います。

 

 

中学受験を成功させたような、生温い以前の大学の環境から自分をはみ出させた「渇き」のようなモチベーションを忘れていたと思います。期末試験が終わってから、僕はひたすら予定をつめまくっていました。海、山、世界遺産、観光地訪問、BBQ、国内旅行、ツーリング等々、1日の休みもないほどに。

 

 

でも、なんとなく満たされていませんでした。そこで一昨日、ある人に質問をして何をやればいいかを聞いてみました。そして「自分1人で新しいコミュニティーなりそういうところに飛び込んでみるのが面白い」と言われてはっとしました。今ある場所、今繋がっているところを使うことばかり考えていて、しっかり自分の足で歩くことをサボっていたように思えたからです。

 

 

「渇き」を感じる必要性についてまだ考えていますが、積極性の質と自分がやるべきことについてもう少し考慮すべき、と思うような日々です。

 

 

さて、交換留学に必要な書類や現地での寮についてはようやく情報を入手出来たのでこれから本格的に準備が進みそうです。ではまた。

ブログ、はじめました

こんにちは。東北大学経済学部経済学科4年のANIKIです。ANIKIはベトナム人の友人につけて貰ったあだ名です。2014年9月より半年間ほど、台湾の国立政治大学社会科学院に交換留学生として行きます。その模様をブログにまとめて書いていきたいと考えています。

 

所属しているサークルの休学中の友人2人がブログをやっているので僕もやろうかなと思いつつ、期末試験だの富士山登山だのと忙しくしているうちに卒論というラスボスの顔が見え始めたのでそろそろ現実逃避の場としてルイーダの酒場ならぬブログを書こうと思い立ち、作りました。

 

人並みですが。http://ameblo.jp/kamelliaohsb/

えっ!休学っておいしいの? http://headjumper04.hatenablog.com/

 

ブログで文章を書くという行為は久しぶりですが、誰を対象に書くべきなのか、またどのような書き方で書くべきなのかを少し考え、後で誰かが読んで追体験しやすいように一人称視点で思っていることを素直に、誰かに教える訳ではなく、ツラツラと書きたいと思います。どうしても読者を想定すると「面白いことを書かなきゃ」とアップデートのコンテンツに拘ってしまうと考えています。

 

大学の後輩が運営しているブログ集に書こうかとも思いましたが、更新頻度が多いと僕の下らない記事が溢れることになるので個人で書くことにしました。

 

ASHIATO information hub for students in TOHOKU

http://tohoku-ashiato.secret.jp/

 

 

で、最近友達たちに言われることは1つです。「台湾に何をしにいくの?」

 

・  女の子が可愛いから?

・  「留学」に憧れていたの?

・  暇つぶし?

・  中国語やりたいの?

・  英語やりたいの?

・  寒いのが嫌いなの?

・  隣の住人が嫌だったの?

・  卒業前に何かやりたかったの?

 

どれも一理あると思います。確かにベトナムへの短期留学に一緒に行った後輩から「台湾の中でも台北市は女の子のレベルが高い」と聞きました。「留学して箔を付けたいの?」と言われると否定出来ない部分があるなど自分に自信がないのかもしれません。

 

また後期セメスターが暇になるのは嫌でしたし、中国語と英語をやりたいのは間違いなかったですし、僕は仙台の冬に耐えられないですし、隣の住人がうるさ過ぎて引っ越しの理由が欲しかったですし、ゼミの日だけ大学に行って他は卒業旅行に備えてバイトするような「普通の」大学生活が嫌だった、と確かに一理あります。

 

それよりも気にしているのは日本人の欧米偏重な点です。僕の出身校も最近では直接アイビーリーグに学部から行く人が出始めましたになりましたが、アジアの大学に行くような人はまだほとんどいません。

 

これだけ「これからはアジアの時代」だと言いながらアジアに目を向けないのは「どういうことなんだろうかな」と思います。もっとも学術的なことを言えば私が専攻とする経済学は欧米の学問ですし、大学の国際ランクなども欧米の方が良い大学が多いのも事実です。

 

しかしながら学位取得が目的ではないですし、アジアの大学に行くのは「敵を知るためには敵の言葉から」という点でとてもいいと考えています。敵という表現は適当ではないですがニュアンスとしてはそんな感じです。

 

実を言うと、アホっぽいですが、僕は英語の勉強がはじまった中学1年生の時から外国語が心底嫌いでした。なんで外国語なんてやらなければいけないのか分かりませんでした。こんなんもん国富を外国に流出させるだけだし、外国語をやる時間を別のことに費やしていればもっと日本はよくなるんじゃないかと幼心ながらにそう考えていました。

 

でも、外国語を勉強した方がより選択肢が増えますし、楽しいことも多くなりますし、外国語の勉強をしないと決断出来るほどの強みや専門性が自分にないこともあり、結局はしました。経済学部に入り、経済学に即した思考をするようになったからなのかもしれません。

 

ということで、ひとまずは学生時代における外国語の学習の総決算としていきたいと思います。

 

 

「正解となる道は選べないけど、選んだ道は正解にすることはできる」と友人がブログで書いていました。僕もこの言葉を色々な所で聞いて来ました。結論から言うとこの言葉の重さは生存者バイアスであって、要するに「成功出来るよう努力しろ」ってことだろってことになるのであまり好きではないです。

 

「正解となる道は選べないけど」というのが最初から「逃げ」ていてズルいと思います。道を選んだ時点では、自分の全ての選択肢、人間関係、リソースの範囲の中でベストの選択肢を選んだはずです。まずはそこに自覚的でいるべきだと思います。人の選好・嗜好が異なるので様々な選択肢があるだけであって、画一の基準で選べる「正解」を選びたいのか、万人に認められるようなものでければ正解ではないのかというニュアンスです。

 

そもそも「正しい」というのはあくまで価値判断であって、あまり好きではないです。僕も正しいか/正しくないかという価値観は他人を説得させる時に使いますが、自分に対してはgood or notと少し異なる価値判断で意思決定しているように思います。効用が高い方というダサイ言い方でもいいでしょうか。いずれにせよ、前提状態の確認といったことの方が効果的であった気がします。

 

 

というわけで、準備に万全を尽くしたいと思います。ではまた。